(これは首長選挙終了後、第六期第一回評議会が開かれる前の話である)
どのぐらいの時間、ここで座っていたのだろう。
Mesonaは、目の前のムーンゲートをただ眺めていた。
この3期12年(UO時間。現実時間では1年)、自分なりに、ニューマジンシアのために尽くしてきた。
市民の信頼も、充分に得られていると思っていた。
しかし、選挙というものは冷酷なもので、その内実を得票率という数字で暴き出す。
得票率、Akusa Tau'ol候補61.1%、Mesona候補38.8%。
《……私は、投票してくれた市民の、4割の信任すら得られなかった》
市民の信頼を失った自分の居場所など、もうここにはない。
どこへ行くのかは分からない。でも、どこか遠いところに行こう。
そう思い、ムーンゲートへと向かったのだが、青く光るムーンゲートを目の前にして、最後の一歩が踏み出せなかった。
《ここを離れよう、そう思ったのに……》
しかし、あのベインの選民が占領していたときですら、このマジンシアにいたMesonaには、ここから離れることなど、できるはずがない。
そうして長い間、逡巡している彼女の肩に手を置いて、その男は言った。
「どこへ行くんだ? ここは、お前が愛し、復興させたニューマジンシアだぞ」
その声、そして肩から伝わってくる逞しい手の温もり。Mesonaがよく知っている男のものだ。
「Louさん……」
Mesonaが振り返ると、そこには巨躯にピンク色の長い髪には些か不釣合いに見える、悪戯好きな少年のようなLouの顔があった。
「街を出ようかと……そう思ってたんですが……」
二人が腰を下ろすと、小さな石のベンチはかなり狭い。Mesonaは下を向いて、独り言のようにつぶやいた。
「カリュブディスはどうなるんだ? 伝説の釣り師である、お前にしか釣り上げられないんだぞ」
「……でも! それは、貴方が……」
その後の言葉は、声にできなかった。
自分が悪いことは、よく分かっている。
その想いが、どうやっても届かないこと、そして、自分が割って入る隙間などどこにもないことも。
その想いに心を乱され、心にもないことを口に出し続け、作る必要のない敵を作り、そして──身を滅ぼした。
でも、もう言ってもいいのかもしれない。いや、言わないで去ることのほうが失礼なのではないのか? この最期の瞬間ぐらい、自分に正直になるべきじゃないか。
MesonaはLouを見上げ、そして、告白した。
「私……マジンシアの地下室で、貴方と初めて会ったあの瞬間から……貴方のことが好きでした!」
Mesonaは躊躇することなく、Louの胸へと飛び込んだ。
もう離さないと決心したのか、Louの背中に手を回し、彼の中に溶け入るように身体を密着させる。
初めての温もり。Mesonaはマジンシア崩壊後、あのとき以来一度も感じたことのない安心感を得ていた。
一方、Louは予期せぬ出来事に狼狽したのか、うわずった声で震えながら言った。
「ぼぼぼぼぼ、ぼぼ僕は、つつつ、妻も、こここ、子供もいるし……ええっと……い、いきなり、そ、そんなこと言われても……」
鈍い打撃音とともに、その言葉は途切れた。Louの身体の震えは止まり、しばらくの間硬直していた。
「いてててて……誰だ、てめぇは!」
振り返ったLouの視線の先にいたのは、使い込んだ木刀を手にした、Louの次女Louiseだった。
「へぇぇ、浮気してたのかぁ、そいつは知らなかった」
Louiseは木刀をLouの鼻先に突きつけた。この木刀は、彼女が4歳のときから使い続けている年代物だ。魔力などはこもっていないが、Nerve Strikeを撃つぐらいならできる。
「ち、違うよ! それに、そんな木刀まだ持ってたのか?」
「まあね。あたしが4歳のとき、父さんが母さんのオッパイを飲みすぎて、妹が発育不良になりそうなので、これで父さんの後頭部を思いっきり叩き割ったのよ。それ以来、父さんが悪さ──といっても、いい年して母さんのオッパイを飲むぐらいだけど──をする度に、これで一撃加えてあげたのよ。覚えてるでしょ?」
「ああ、覚えてるよ! それで、『こいつは素質がある』と思って、剣術の特訓してやったんだから! それに……減るもんじゃないし、悪くねぇだろ!」
「あたしが一撃加えていたお陰で、妹や弟たちは姉さんみたいに発育不良にならなくて済んだってことね」
Louiseはニヤニヤしながら、木刀を更に突き出す。Louは怯えながら身体を反らした。
いつの間にか、Louの娘4人、息子1人、そして妻がニューマジンシアムーンゲート前に集まってきていた。こうして見ると、Louの長女にしてニューマジンシア首長、Akusa Tau'olの背の低さが際立っている。
「……ということは、あたしがチビなのも、パパがママのオッパイを飲みすぎたせいなのね!」
Akusa Tau'olは、評議会で舌鋒鋭くMesonaを糾弾したときと同じように、Louを指差して睨みつけた。
「ななな、何言ってるんだよ、それは誤解だ! それに、それが本当なら、Louiseだって発育不良になってなきゃおかしいじゃねぇか!」
言いながら、顔面蒼白で身体が小刻みに震えている。
「あらあら、Louiseはあなたがオッパイ飲もうとすると、足をバタバタさせて泣き出すんで、授乳時は入室禁止にしてたのだけどね」
最も信憑性のある証言が、妻の口から語られた。
被選挙権がある娘がいる歳とは思えない美貌。さすがに5人の子供を産み、育てているだけあって、体重は増えているようだが、Louによれば、顔は結婚時から全然変わっていないらしい。この人になら負けてもおかしくないし、今まで浮気する機会など山ほどあったのというのに、一度も浮いた話がないのは、彼女が妻だからだろう。
自分を置き去りにして進められる一家の主の糾弾劇に、Mesonaは何か吹っ切れたのか、いつもの不敵な笑みを浮かべて、短く一言を添えた。
「事実であれば、児童虐待ですね」
硬直するLouを横目に付け加える。
「私も見たことあります。私が料理人として住み込みで働いていた頃、Lou様があのTravestyを丸一日掛けてソロで撃破して帰宅して、戦利品のマスクを放り出して奥様の胸に顔を埋めて泣いていた夜ですが、御食事を寝室に届けたとき、赤子のように奥様のオッパイに吸いついていたことを」
LouはMedusaの石化攻撃を受けたかのように固まっている。
「まあ、このままユーの裁判所に送るというのも手ですが、司法取引ということで、ニューマジンシアの公爵位を購入して頂くということでいかがでしょうか?」
石化したLouを尻目に、一堂大爆笑。その後、Mesonaの提案に賛成の拍手が鳴り響いた。
「話は変わるけど。Mesonaさんにお願いがあって、ここに来ました」
ニューマジンシア首長Akusa Tau'olは、ベンチに座るMesonaの前に、膝をついて頭を垂れた。
「ニューマジンシア首長としてお願いします。カリュブディスを討伐することは、貴方の力なくして不可能です。是非とも、四方を海に囲まれたこの街の、海の守護者として、我々にお力をお貸しください!」
Mesonaは当惑した。カリュブディスの討伐は、首長として自分がその身を賭して取り組んできた任務である。その首長の座を、自分から奪った者が今更、何を言うのかと思った。しかも、まるで自分が臣下の者であるという素振りで……。
しばらく沈黙した後、Mesonaは答えた。
言うべきことは、既に決まっている。そして、自分が居るべき場所がどこかも。
「分かりました。このMesona、ニューマジンシアの海の守護者として、その一命を賭して、全力を尽くして参ります!」
そうだ、自分はこの街に骨を埋めるって──あの日、そう決めたのだ。
「つーかさぁ、Mesonaさん、父さんのどこに惚れたのよ。いい歳して乳離れできてない、こんな暑苦しいおっさんに!」
Mesonaから動物調教の術を学んだ、Louの息子、Sebastianが前に出て言った。
「何だSebastian、羨ましいか?」
好色な笑みを浮かべるLouに、Sebastianは顔を赤くしていった。
「何言ってんだよ。僕はスリムな娘のほうが好きなの。ったく、しょうがねぇおっさんだな! Mesonaさん、こんな男と一緒になったら、『ママ』って呼ばれて、帰ってくる度にオッパイ吸われることになるけど、それでいいの?」
感情が顔や素振りにそのまま出るところは、父譲りかな。Mesonaは微笑んで言った。
「それもそうね。第一……吸われるほどの……胸など……ありません!」
言いながら、Mesonaは爆笑してしまった。
想いは遂げられなかったけど、それでいい。
この幸せな関係を壊すことなどできないし、してはいけない。
「貴方がパパを好きになった、その眼は曇っていないと思うわ。こういう、暴力を生業にしている家に育ったけど、私、一度もパパにぶたれたこと無いわ」
長女、Akusa Tau'olは少し恥ずかしげに、Mesonaに対してつぶやいた。Mesonaは小さく肯いた。
「そうだ、3期にも渡る重責に感謝してということで、Mesonaさんにプレゼントを持ってきたの」
次女、Louiseが差し出した木の箱に入っていたのは、Mesonaの銘が入ったランタンだった。
「これのために、あのDoomで……本当にいいの?」
「どうってことないわよ。今までお疲れ様、これからもよろしくねってこと。それだけだから」
LouはMesonaの肩に手を掛けると、言葉を手繰り寄せるようにして伝えた。
「まあ、血縁関係があろうと、なかろうと、首長になろうと……その座から降りようとも、お前が我が一族の一員ってことには変わらんから」
「ええ……分かっています!」
「つーわけで、クリスマスパーティのメインディッシュに、冬竜魚でも釣ってきてくれ」
Mesonaは当惑した。冬竜魚なんて、簡単に釣れるものじゃないのに……。でも、悪気がないというのは分かっている。
「まあ、こんな無邪気な人だけど、これからもよろしくね」
苦笑いをしているMesonaに、Louの妻は苦笑いで答えた。
Mesonaは言った。
「ええ。無邪気っていうのは、『邪気が無い』って書くのですから」
Mesonaは、初めてLouと出会ったときのことを思い起こした。
バーチューベインが倒され、マジンシアが解放されても、Mesonaがその地下から出ることはなかった。
悪魔は去ったが、「人の子」という、それ以上に恐ろしい魔物がやってくる──それは、彼女には恐怖の対象でしかなかった。
あのときの、理不尽な出来事が、彼女の脳裏に蘇った。
生存者が地下にまだいるとの一報を受けて、マジンシア解放に携わった冒険者たちによる捜索隊が結成され、地下室は一つ一つ捜索されていったが、Mesonaは捜索隊の手から逃げ続けた。
一つを残して地下室は暴かれ、整地されたが、Mesonaはただ一つ残った地下室の、一番奥の部屋でうずくまっていた。
頭上からは、人々や荷物を運ぶ生き物の足音が、振動となって響いてくる。
老朽化したこの地下室が壊れるのも、もう時間の問題だろう。
《このまま生き埋めになって死ぬのも、それでもいいかな……死ぬのは嫌だけど、辱めを受けるよりは、ずっとマシだから》
半ば死を覚悟したMesonaのいる部屋の扉が蹴破られ、そして、ほぼ同時に部屋の天井が落下する。
「ああっ!」
片足が崩れた天井の石の下敷きになり、Mesonaは思わず呻き声を上げる。天井を支えていた石はいかにも重そうで、少なくともMesonaの体重の5倍はあるだろう。
捜索隊の一人だろう、ひときわ大きな男が、さも自分が痛手を受けたかのような顔をして、近づいてくる。
黙ってMesonaの片足の上にある石を持ち上げ、Mesonaを瓦礫の下から救い出した男は、怯える彼女に顔を向けて、
「もう大丈夫だ。お前を傷つける奴はもういない。お前を傷つける奴は、俺が殺す」
そして、痛みを共有しているかのような、泣き出しそうな顔で、男はMesonaの傷ついた足に包帯を巻く。
嘘のように足の痛みが消える。痛みが消えると、男は軽くMesonaを抱き上げた。
あのときの男たちが束になっても敵いそうにないほど強そうなのに、何をされても抵抗する術などないのに、彼女は不思議と恐怖を感じなかった。
「んじゃ、帰るぞ~!」
夕暮れ時に家に帰る子供たちのように、男は崩れた天井の隙間から差し込む日の光を見ながら言った。
「うんっ」
Mesonaはマジンシア崩壊後、一度も見せたことのない満面の笑顔で答えた。
《こんな彼だからこそ、私は安心して地上に戻ることができた……》
そうだ。
世界が悪意に包まれ、邪な者たちの毒牙にかかろうとしているとき、
非力な人の子が、それに対抗するために用いる最大の武器──それは彼のような無邪気な心なんだと、Mesonaは確信した。
そのときは、私も一緒に、彼らの傍らで戦おう。
「姉御~!」
ムーンゲートの南岸から、よく知った声が聞こえた。
「では、このMesona、海の守護者としての任務に向かいます!」
軽く敬礼をしたMesonaは、彼女を慕うWozが待つ船へと、坂を駆け下りていった。
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後世、ブリタニア暦1000年を記念して編纂された歴史書には、この『マジンシアの変』について、以下のような記述がある。
“選挙で長を決めるということが当たり前になった今日とは違い、首長制度導入期には、この制度は些かの当惑をもって迎えられた。
選挙で投じられた票の数によって事を決めるということで、意見や利害を異にする諸集団が武力をもってその正否を決めることを防ぎ、利害を平和裏に調整し、国家が内乱に陥るのを防ぐ。投票とはそのような制度である。
それは武器を用いない戦争であり、そのため、選挙によって遺恨が残り、そのまま敵対的な関係が続くことも多々あった。
この『マジンシアの変』は、ある一族の使用人であった現首長に対し、その一族の長の長女が対抗馬として立ち、現首長を打ち破るという、いわば同じ一族郎党の中での内紛が街を二分する政争となった事件であるにもかかわらず、その政変後は一族郎党の団結がむしろ強まったという稀有な事例である。
多くの学者や歴史家が、その真相を探ろうと研究を重ねたが、全てが明らかにされたわけではない。同時代に生きた者にしか分からないことはあるだろうし、人の行動というものはいつの時代も不可解なものなのだから。
しかし、我々は、様々な原因で生じた対立を解消し、その力を結集することは、決して不可能ではないということを、この事例から学ぶことができる。”
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……てな感じで、書いてみました。
今回の政変劇はこれにて大団円となります。
赤面モノのかなり恥ずかしい話ですが、一番恥ずかしいのは書いてる本人です(笑)
今回の選挙で色々とお騒がせしたかと思いますが、Mansemat/Wozさん、EM Minetteさんをはじめ、このRP劇に付き合って下さった、全ての方に感謝します。
首長のキャラは変わりましたが、中の人は変わりませんので、これからも、ニューマジンシア市への物心両面での支援を、よろしくお願いいたします。
(追記:Louのニューマジンシア公爵位購入は、ニューマジンシア市が財政難に陥るまで猶予される見込みです)